苦難の末に生まれた、キューブの個性。”非対称デザイン”の誕生秘話
父から受け継いだ日産キューブ。今では4台を乗り継ぎ、14年と8か月の時を歴代キューブと一緒に過ごしてきた茶田さん。総走行距離にして約67万キロ。愛情を込めて「キューブくん」と呼びます。
「熱海生まれ、熱海育ち。実家の稼業でもある割り箸屋を受け継ぎ、社長をしています。元々は割り箸の卸問屋でしたが、今では旅館やホテルなどで使われる、アメニティ用品や洗剤なども取り扱っています」
温泉街でもある熱海市内は細い道や坂が多く、小回りが利くキューブが重宝します。平日はラゲッジスペースに商品を載せて営業に回り、休日には三女の車椅子を乗せて、県内はもとより遠方までも、すべてキューブで出かけていたそうです。
「私には三人の娘がおりまして、上のふたりは嫁に行きました。一番下は小学校四年生のときに、原因不明の病で下半身麻痺になりました。病院が遠方にあり、送り迎えをキューブくんで行いましたが、車椅子がちょうどいい具合に収まるんです。今なお乗り続けているひとつの理由でもあります」

そんな三女の茶田ゆきみさんは、その後、車椅子卓球に出会い、現在では世界14位にランクインするなど、東京パラリンピックの日本代表候補として期待されるほどに。
キューブが運ぶ、茶田さんと家族のかけがえのない時間。ハンドルを握る車中は「我が家に帰るとほっとするのと同じように、キューブくんに乗っている時間は、すごくほっとする時間なんです。心地よく走らせてくれて、中で歌ったり、泣いたりしても、すべてを受け止めてくれる。そこはもう、自分の空間なんです」と、まるでご自宅のよう。その語り口はとてもやさしく、愛車への感謝を述べているようでもありました。

14年と8か月という、長い年月をともに過ごしてきた茶田さんとキューブは、オーナーとクルマ以上の関係を築いているのでしょう。およそ、67万キロもの距離を走るうちに、いつしかキューブで過ごす時間の大切さを感じるようになりました。そしてその想いは10歳の孫が受け継ぎ、「じいじの車に乗りたい」と、親子4世代での関りが続きます。
苦悩の末に行き着いた「純化」
「今、10歳の孫が将来免許をとったときに、車の社会がどう変わっているかわかりませんけど、もし、選択肢にキューブくんがあったりしたら、めちゃくちゃうれしい。泣いちゃうかもしれません。泣けてきちゃいました」

と、柔和な笑顔にひと粒の涙を流しながら語ってくれた茶田さん。これまで4台乗り継いできたキューブが孫の世代まで永く続くことを、静かに期待しています。
そんな茶田さんに、これまでのキューブについて尋ねてみると、とてもご本人らしい答えが返ってきました。

「3台目(3代目キューブ)が、特に好きでした。車椅子の娘が手で運転できるようにしたのも理由のひとつですが、あとは色ですね。3台目の色は娘がちょっと濃い茶色を選んでくれたんです。それは今までの自分の選択肢になかった色で、逆に乗っていたらすごく好きになりました。子供たちはもちろん、孫も喜んで乗ってくれる。3台目は、みんなで決めたキューブくん。その感じが好きですね。」
今なお、仕事にプライベートにと、愛車の「キューブくん」で精力的に動き回る茶田さん。いつかは「日本一周がしたい」とひそかな夢を語ってくれました。

「車で旅をして、自由気ままに行きたいところに行きながら、時間とか日にちを気にせずに、色んなところで色んな人と出会いたい。その時に一緒に付き合ってもらいたい」

日本一周の夢、それをともにするのが、キューブです。